明らかに自分の意思で孤立してるような気もするが、客観的な判断はできない。私というものが関係に存在するのであれば、あんまり良い状況ではないことは確かかもしれない。
関係に存在するというのは、ある対象との間が存在するということである。時間的および空間的な拡がりを持つ誰かもしくは何かである。
いずれ、帰るところがなくなるのだろうな。
それはすこし、あるいはとても嫌だな。と思う。
必要とされたいとは思うが、それは愛とは別のもの。
すちゃらかで適当な奴なので、まあ、仕方がないやね。しょーもないの。
というわけで、オゥヴォア。
砂連尾理さんと踊る
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山形ビエンナーレ2024の参加作家のひとりが、舞踏家の砂連尾理さん。この春以来すすめられてきた彼のダンス・ワークショップの仕上げは蔵王温泉の町を踊りつつ歩くパレードだったのですが、そのパレードの終着点、蔵王スキー場ゲレンデで、詩を朗読しました。7日(土)と8日(日)の2回。特に日曜は、詩に登場する「姿を見せ...
1 日前
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