パラパラ、と見てみる
もうすこし細かい共通点をあげると、ペソアも辻潤もペルシアの詩人、オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』を愛読していた。
先日引用したブログペソアのトランクで、こんなことが書かれてあったので、買ってみた、というわけ。
なるほど、ペソアと雰囲気が似ているような気もする。
読んだ瞬間「お?」と思うのである。「お!」か。「お。」かもしれない。
どうせ何も無くなっちゃうので、酒でも呑もうね──みたいな詩があったりするのだけれど、穿った見方というか、読みが浅いのか。(それらは逆であるが)
ほんとうにそうなら、詩を書く必要はなくって、酒呑んで寝ていればよいんじゃないかと思う。
穿った見方や、深読みしなくても、分かりやすい言葉で書かれた、短い詩だ。ま、4行なんだから、短いし、短いから分かりやすくなる──とは言えないから、分かりやすく書かれた短い詩と言うしかないか。
人間が有限であるということについて、木村敏はこう書いている。
神のように無限に遍在しているものであったなら、「私」ということば、「自己」ということばそれ自身がなんの意味も持たないことになるだろう。
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