ひとりというのは、寂しいとかそういうものは置いて措いても、いろいろな問題が潜在していたりする。まあ、そういう問題解決のために誰かを欲するというのもきっと悪ではない。愛ではないかもしれないが。
それを言うならば、恋、でもそう、結局そういうものはどうでもいい部分なのだ、と思う。
最終的に愛がなければ、破たんする。
できるのなら、愛を先取りしてしまえば、先のことを憂いずに済むのだろう。先取りと言っても、自分から奪うものではない。いずれにしても、恋というのは持続には全く役に立たない。
読書はキェルケゴール、絶望について。
平行して、木村敏の新書なども読み中。
ちょっと重い本ばかりで、軽い小説が読みたいと思いますが、京極の未読本とかか(それは重い)。
砂連尾理さんと踊る
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山形ビエンナーレ2024の参加作家のひとりが、舞踏家の砂連尾理さん。この春以来すすめられてきた彼のダンス・ワークショップの仕上げは蔵王温泉の町を踊りつつ歩くパレードだったのですが、そのパレードの終着点、蔵王スキー場ゲレンデで、詩を朗読しました。7日(土)と8日(日)の2回。特に日曜は、詩に登場する「姿を見せ...
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