Amens(無分別者)なんていうタイトルにしているからといって、中身までそうならなくても良いのに、そうなっているのは題名のせいということにしておくと幸せだろうか。
何か書き始めると、愚痴っぽくなるような気もする。読む人の迷惑というのを考えるべきだと思う。思うなら書くなという指摘は正しい。こうなると、ぐるぐると自己励起的に悪化しそうである。悪あがきと言う。
困ったやつである。
自分で言っていれば世話はない。
穴でも掘ってそこに言うべきなのだろう。次にブログをつくるときは、タイトルを穴にしたら良いのかもしれない。
それにしても、本当に、どうしたものだろうか。
どうしたものだろうかというか、どうにかしないといけない。
砂連尾理さんと踊る
-
山形ビエンナーレ2024の参加作家のひとりが、舞踏家の砂連尾理さん。この春以来すすめられてきた彼のダンス・ワークショップの仕上げは蔵王温泉の町を踊りつつ歩くパレードだったのですが、そのパレードの終着点、蔵王スキー場ゲレンデで、詩を朗読しました。7日(土)と8日(日)の2回。特に日曜は、詩に登場する「姿を見せ...
1 日前
0 件のコメント:
コメントを投稿