数が多いということは、埋没してしまうということである。
何がどう見えるかというのは、人間がすることであるので、時どきによって、違うのかもしれない。
というか、違う。
デジカメの功罪である。いや、良い点かもしれない。
もっとも、本当はデジカメでも数でもない。違うところに理由があるのである。
きっと。
砂連尾理さんと踊る
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山形ビエンナーレ2024の参加作家のひとりが、舞踏家の砂連尾理さん。この春以来すすめられてきた彼のダンス・ワークショップの仕上げは蔵王温泉の町を踊りつつ歩くパレードだったのですが、そのパレードの終着点、蔵王スキー場ゲレンデで、詩を朗読しました。7日(土)と8日(日)の2回。特に日曜は、詩に登場する「姿を見せ...
1 日前
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