2009/05/10

ふたたびWW

今週もヴィム・ヴェンダース
『家族のいる風景 (原題:Don't Come Knocking) 』

公開は2005年と新しい作品。
この原題は、どういう意味か謎なのだが、まあ、邦題もどうにかならないものかと思う。適当なことを言うのは良くないかもしれないが、英語で「ノックしに来るな」というのは、「会いたくないぞ」の婉曲表現みたいなものなのだろうか。まあ、タイトルについては、言及しない方が良さそう。

この映画を観ると、こういう映画というのを作れたら楽しいだろうな、と思う。
話としては、判り易いし、日常的な、それこそ風景である。それでは何も感じるものがないか、と言えば、やはりそうではなくて、あとからじわりと効いてくるものがある。

日常的な、平坦な、小説的な味付けがない。そういう面白さが、観たい/読みたい。そして、書きたいと思うのだが、書くのはまあ、かなり困難な夢物語かもしれない。

2009/05/04

Wim Wenders

『ランド・オブ・プレンティ』(2004年)
リスボン物語以来、ヴィム・ヴェンダースのファンだったりするのですが、なかなかレンタルにそろっていなくて、全然見ていません。ハメットとブエナビスタソシアルクラブくらい。

生きることとか、考えてしまいますね。
なんというか、てきとうに生きている。のほほんというか、ちゃらーん。
でも、就職口無くて、路上生活者の方を見かけたりしますと、明日の我が身かと恐怖してしまいますね。
嫌でも選択を迫られるわけです。頽落しているわけにはいかない。ヤスパース言うところの限界状況ってところでしょうか。仮性かもしれないけれど。

まあ、タンパク質が腐らないで動いているというのは、それだけで奇跡ですからね。ま、そこが問題の元なのか、違うのか。分離できないんだから意味ないが。
(あれ?どうして、ですます調?)

2009/04/27

パンズ・ラビリンス

アカデミーなんたら賞というのを受けている、評価が高い映画。スターウォーズの後に見ると、ちょっと疲れる。
まんまと二重化の罠にはまってしまうわけである。
内戦の軍事抑圧化の現実と、おとぎ話の世界。映画であるので、おとぎ話の部分が映像化できるわけなのだが、統一的な解釈をしようとすると、虚実に分裂をしてしまうのである。

単純にこいつは良いとか、これは駄目ですね。と言えない──つまり考えなければならない、ということは、すなわち、アカデミーなんたら賞という評価される良い映画ということなのだろう。
それにしても、なんというか、なんとも納得できないのは、主人公の少女オフィリアが単純な掟をやぶるところである。まあ、実際はそういういい加減のところがあるものであるから、リアリズムということなのかもしれない。だいたいは、現実の方が、茶番のような、しょうもないことの連続なのであるし、もちろんそれでよいのである。←と書いてから、解説音声(ディレクタリーコメント)を聞いたら、もっと単純な理由だった。そして、誤解したのは、その単純な理由を説明するシーンがカットされたからだったのである。説明無しでも分かると思われたようだが、気がつかないのは私がぼけなのである。(まあ、監督もカットしない方が良かったと言っているが)

エピソードVI

スター・ウォーズ エピソードVI ジェダイの帰還

シリーズ3作目。旧三部作というか、最後の話。
初回公開時は「ジェダイの復讐」という邦題だったが、2004年のDVD発売時に変更された。原題はReturn of the Jedi

前回の続編というか、完結編という印象の強い作品。まあ、そのままだ。

6部作と見れば、確かに壮大な作品。子どもに判り易い話でもある。

ところで、シリーズを通して、C3POの出番が多い割に役に立っていないのが面白いと思う。

2009/04/21

エピソードIV,V

先週の予告通り、旧三部作のうち、シリーズ第一作と二作「帝国の逆襲」を観た。エピソードIVとVにあたる。
テレビで放映されたのを観ているはずで、とくに第一作は複数回観ているのだが、最初の30分くらいの部分を全く覚えていない。変な宇宙人とか出てきて怖かったからか、面白くなかったからか、どちらかだろうか。
実は、エピソードVの方も最初の30分くらいは全く覚えていない。ひょっとするこちらは、放映開始部分を見逃したのかもしれない。

さすがに20年の開きがあるので、技術の差は目立つ。画面に出てくる、今ではショボイようなコンピュータとかは気にならないのだが、人間が着ぐるみに入ることができない動物の動きとかがいまいちおかしいところなどに現れている。CGが無いから、仕方がないのだが。

2009/04/13

新三部作

スター・ウオーズ 
エピソード I,II,III

三作続けて観たわけでなく、ヒッチコックの裏?で3週にわたって観ていたのだった。

映画館で観たことはなくて、少し(かなり)前に、テレビでエピソードI,IIを観たことがあった。
エピソードIIIは初めて今回観た。めでたく旧三部作につながることになる。といいうわけで、まあ、旧三部作も観るしかない。旧三部作は、テレビで観ているはずなのだが、どんな話かあんまり覚えていない。

どうでも良いことだが、このようなSF映画に出てくる空飛ぶ車というのは、今では滑稽であるように感じる。

2009/04/10

結婚

学院標語と結婚の条件
内田樹氏のブログ。なかなか面白い。
論理的に考えれば、相手は誰でも良いのである。

2009/04/08

流るる桜


四条へ行く。高瀬川の桜、皆さん撮っておられる。皆さんが撮っておられるものを撮るまでもない。
というわけで、写真は近所の高野川。花は散り始め。橋から川面を覗くと花びらが流れてくる。

2009/04/06

知りすぎていた男

ヒッチコック『知りすぎていた男』(1956年)
原題は The Man Who Knew Too Much
1934年の同タイトルの作品(邦題『暗殺者の家』)のリメイクである。

『暗殺者の家』のほうはちょっと消化不良気味な作品だと思われたが、なるほどこっちは完成度が高い。

旧作『暗殺者の家』でさえ公開時は絶賛され、ヒッチコックの名前を世に知らしめた作品だそうで、まあ、TVなど無かった時代なので、それを考慮しないと判断できないことは確かである。

そういうわけで、リメイク版 The Man Who Knew Too Muchについて。ヒッチコック作品らしいユーモアなシーンを挟んだ感じが、とても楽しい。シリアスなシーンは、まあ、慣れたものというところか。
DVDにはメイキングの特典が付いてきていたが、驚愕な種明かしが! なるほど、と感心させられる。


というわけで、現代でも通用するクオリティの「知りすぎていた男」だが、その上でよく考えてみると、「暗殺者の家」の異色さが浮かびあがっくる。作品としては、そっちが前衛的なんのではないか、と。荒削りなだけなのかもしれないが、話としては、リメイク版の方がおとなしいのではないだろうか。

「暗殺者の家」制作時にもっと予算があったら、さらに完成度はあがっていたかもしれない。

2009/03/30

知りすぎた奴

今週の映画は、ヒッチコックの『暗殺者の家』原題はThe Man Who Knew Too Much (1934 film)
訳せば「知りすぎた男」になる。それ、聞いたことある、と思ったのだが、邦題が「知りすぎた男」なのは、1956年のリメイク版だった。

ヒッチコックのイギリス時代の代表作らしい。
どの辺がヒッチコックかもうちょっとよく見ないと分からないというのが感想。
リメイクをしたかったヒッチコックの気持ちも分かるかもしれない。

1934年というのを考慮しないといけないというのでは、面白くないのだけれど、昭和9年なのである。昭和9年にこれを見たら、たしかに驚く。
──んじゃないかと思う。

2009/03/19

アクサン再び

向こう(主体的に覚える)に書いたが、覚えたつもりが忘れている。と言うわけでもう一度。

àèù
é
右下がりが、アクサン・グラーヴ(accent grave)
右上がりが、アクサン・テギュ(accent aigu)

記号の名前を覚えても意味がない、というかそんな必要はない。と言うことは前に書いた。
仏語の場合は実際aとuにはエギュはつかないので、あまり出てこないèに気をつければよいのである。
é と è は発音が違うのだから、フランス人は音で覚えているのだろうか。
で、どうやって、この名称を覚えるのか。
aiguにはaとuが入っているので、aとuにつかないという分かりにくい方法くらいしか思いつかない。
éはエと読むので、aigu=エギュのほうがまだ良いだろうか。
どうにもすっきりした覚え方が思いつかない。思いつかないうえに、覚えられない。

2009/03/18

不一致

Which?

現象学的に考えれば、既に何らかの先入見があり、本質が見えていないということである。
エポケーというのは、まず空の状態に自分を置くことである。
都合のよい情報だけを求めているというのは、既にバイアスがかかっているということで、それでは、情報を集める意味がない。

果たして本質があるのか、あるとすれば、誰が判断するのかという問題は発生しないのであろうか。

2009/03/16

適当に見ても

ゴダールのDVDを借りてきた。邦題は『ゴダールの決別』(原題 HELAS POUR MOI)
ながらで観ていてもまったくわからない。
真剣に見ても分からないかもしれない。

ちなみに、英語の題名は Alas for me だ。つまり、そのままだ。

2009/03/10

船旅


フェリー業界が苦境だとか。
船旅というのは、なかなか楽しい。夜行列車も一部には人気なようだけれど、何か、ブームみたいものはできないだろうか。
値段は人間だけなら高くはないけれど、旅程の時間がかかるのがネックだろうか。

お風呂の窓から水面が近くに見えていたりして、なかなか楽しい。
船の窓には波しぶきが塩の結晶になっていたりする。
そして海が広い。

2009/03/09

ヒッチコックの裏窓

『裏窓』REAR WINDOW
なるほど、面白い。

2009/03/06

書いていない映画

鑑賞したが書いていない映画(DVD)がある。ネタに困ったときに書こうと思って取っておいたわけではない。
ヒッチコック『ロープ』
レンタルしていないので、買った。廉価版500円。安いけど、つまり、著作権が切れているので、できるのである。

意外にも、今までヒッチコックの映画は、全然見ていない。「鳥」はテレビでやったのを2回くらい見た気がする。それだけである。たぶん。

『ロープ』はカット割りがされていない映画だそうな。なるほど、カメラの位置(方向?)は変わるが、ずっと繋がっている。(前の方と終わりの方で切れているが、途中の主たる場面になっている部屋のなかでは1カットで繋がっている。)
実は、最近読んだ「時間」の中でこの映画が言及されていたのだ。カットが入っていないということは観客と映画の中は同じ時間だけ経過しているわけである。

そう思ってみると、なかなか、変な感じである。自分の時間感覚が喪失しているようだ。

ヒッチコック面白いのだが、どうも好きではない。しかし、好きではないイコール観たくない、ではないのだ。
そういう年頃かもしれない。

2009/03/02

DVD版スカイ・クロラ

レンタルしてきた。
原作を読んでいないと分からないという評価が、上映時のブログなどでは散見されたが、原作読んでも分からない話なので、こんなものだ、と思う。
というより、映画ではヒントが出てしまっていると思うが、それがこの映画の謎解き、というか、目的ではないのだと思う。
いったい何か。いや、そんなものは無いのである。最初から。
大人にならないキルドレ。

放って措いても、大人になって老いていくのだが、中身はいつの間にか成長を止めてしまう。僕たちはキルドレと異なるのだ。

2009/02/27

テンプレート変更

テンプレート配布サイトのテンプレートを使っていたが、テンプレート配布サイトのテンプレートが使っている画像を置いているサービスが止まってしまって、画像が表示されなくなってしまった。
というわけで、純正のテンプレートに変更。
まあ、画像なども自サイト内に置けば、そのようなトラブルは無くなるのだろうけれど。

等比級数的

幾何級数的に〜と誰かが言っていた。
幾何級数とは何か。
幾何級数というのは、すなわち等比級数のことであるらしい。
等比級数、というか、等比数列の和はrのn乗の形をしているわけで、まあ、ざっくり言えば、指数関数的と同じ──というか指数関数そのものである。
指数関数的の反対は対数関数的だろうか。
対数関数的と言ってもたぶん通じない。
算術級数的が、反対語らしい。算術級数とはつまり等差級数なのだ。
等差級数だったら、一次関数的だから、対数関数よりは増加率が多いのではないかと思うが、直線的であることに意味があるのかもしれない。
ねずみ算式に、とか雪だるま式という表現もあるが、ねずみ算は等比数列であるので、幾何級数的と同じである。ユキダルマシキを数式に置くことができれば、比較ができて面白そうだ。

単位時間当たりユキダマの直径が一定量増加するなら、その体積は3次関数である。ユキダマの転がる速度が問題になる。速度一定なら、接地部分の線速度一定ならば、回転速度はおそくなっていくわけで、雪だるま式というイメージに合わない。雪だるまなんて最近作ったことがないので何とも言えないが、雪だるまはそれほど急激に成長しないということかもしれない。

一番の謎は、幾何級数ってなんで幾何なんだろうかということである。

2009/02/24

ソフィーの世界を持っている

うちのアパートの古紙置き場にペーパーバック版の「ソフィーの世界(上)(下)」が捨てられていた。思わず拾っていこうかしらと思ったけれど、よく考えたらハードカバー版を(実家から今の住まいへ)持ってきていたのだった。
これを読んだのは、とくに哲学に興味はなかった頃なのだ。

今読んだら、どう思うだろうか。
少しはツッコミを入れられるかもしれない。
でも、ぶ厚いのだ。
再読はしたいのだけれど……