何を書くかを書くという、最初から意味のないことをしようとしている気がします。
意味がないなら止めておけ、と言われそうですが、意味があるか無いかは書いている今は判断できませんし、意味があるかないかはあまり重要なことではないのかもしれません。すべての存在は別に意味を要請されているわけではないのです。
あるいは、逆に言えば、存在しているんだから意味がある。だから、意味があるないというのはそもそも意味のない議論なわけですね。意味のない議論に意味はないのかというパラドックス。この種のパラドックスはラッセルのパラドックスでしょうか……。まあそれはどうでも良いのですね。
と、このような話になってくると、存在とは何ぞや、ということになって、言葉の問題じゃないか、という考えも出てくるわけですが、そういうことを言うには、やはりハイデガーとか読んでおかないとだめですよね。積ん読じゃだめです。デリダとかレヴィナスもツン毒してありますが、ハイデガーの「存在と時間」は読まないといけないでしょうね。どうしても。
ハイデガーの話はいつか本を読んでからすることにしましょう。(いつだ?)
今読んでいる本はアラン。アランはプロポという書き方をとっているのですが、まあ、短い文で簡潔にまとめた形式とでも言えばよいのでしょうか。
別の場所ではヒルテイを読んでいますが、ヒルティはキリスト教的な思想があるので、それがクッションになるのですが、アランの場合はクッションがないのでグサッと突き刺さるというか、ズバッと切断うぎゃー、みたいないさぎよさがあります。
というわけで、ネタに詰まったら、アランの言葉に助けてもらうことにして、適当に意味のないことを書きつつ──と、このブログ進めていこうなどと考えています。
「絵を読む、世界を描く」
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明治大学大学院<総合芸術系>特別授業
『野生の教養III 旅する教養/芸術の旅』(法政大学出版局)刊行記念
[対談] 原瑠美+中村和恵
絵を読む、世界を描く
2026年11月6日(金)18:00-19:30
明治大学グローバルフロント1階ホールにて
事前予約不要・入場無料
明治大学大学院建築・都市学専攻<...
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