2008/09/26

OMNIS AMANS AMENS

OMNIA VINCIT AMOR
ET NOS CEDAMUS AMORI


1行目。愛はすべてに勝つと訳す場合もあるが、今回は、「恋は万物を打ち負かす」と訳す。「だから我々も恋には譲るべきだ」ウェルギリウス『牧歌』の一節である。例によって逸見喜一郎『ラテン語のはなし』より引用。ちなみに、2行目の動詞は接続法だそうな。



OMNIS AMANS AMENS

こちらのほうが、語呂がよい。まあ、これでよいのだ。

2008/09/24

コーダ

コーダの記号はフォントにないのだろうか、少し淋しい。
コーダの記号というのは本当はコーダの記号じゃないことを知った。

縮退

基底状態が底だと思ったら、さらに縮退した。
みたいな、量子力学的な比喩を使うとどうだろうか。
──などと思っているが、縮退というのをあんまり理解していない(というか、理解していない)ので、使ったらいけない気がしている。

2008/09/23

射程

見苦しいので消しても良かったが、まあ、そのまま残しておくことに。新しい記事を追加すれば、後ろに行くであろうという魂胆。


根本的に間違っているか、錯覚しているのは、私は何も持っていないというところ。

ひとつのことしか見えていないというのはだめである。
そっちが駄目なら、ちがうところに注力すればよいのである。

もういいよ

もういいよと言えないの言いたいの言えないの。

あまり良くないと思う。
自己評価すれば、去年よりは良いのかもしれないが、総合評価みたいなもので幸せが計れるわけではないのである。
なんて我が儘な。

正直に言えば、良くないわな、と思う。困った。
今さらというか、今に始まったことではないけれど。
まだ? まだ、か。

最も困ったことは、こんな意味不明のことをここに書いていることである。

読んでいただいている人に対しては、ごめんなさいとしか言えない。
良くない。

2008/09/22

存在自体が課題

静かである。
静かにするのが善いのである。




人間の存在は関係にあるが、それは常に私が選んでいるものではないのである。

とてもありがたいことである。

見方が悪い

自己言及というか、パラドックスというか、そういう問題が発生する。
床屋の髭は誰が剃るのか。

ゲーデルの不完全性定理を勉強するべきだ。
──というか、ゲーデルの名前が思い出せずに検索したという……ていたらくというか、もうだめだ。。

主体的に覚える

覚えるというのには覚えようとしなければならない。

どうでも良いことだが、覚えられないことがあった。フランス語で出てくる場合であるが、
éの上の´をアクサンテギュ(accent aigu)と言い。
àの上の`はアクサングラーヴ(accent grave)と言うのだが、これが覚えられない。こんな風に書くと誤解されるかもしれないが、eとかaとかはどうでもよくて、記号が右下がりか右上がりかということである。

まあ、記号の名前などは覚えていなくても支障はない。日本語でも「ば」や「ぱ」についている記号が半濁点とか濁点と呼ぶことを知らなくても会話や作文は問題なくできる。

aiguというのは鋭い、graveは重いという意味だが、音については、それぞれ、高い、低いという意味にもなる。
このように書けば簡単に思えるが、aiguとgraveのどっちがどっちかはすぐ忘れそうである。右下がりか右上がりか右が基準ということも忘れるかもしれない。
まあ、どちらにしても大したことではない。仏語で言うなら
Ce n'est pas grave.
である。

2008/09/21

007

『007は二度死ぬ』
原題はYou Only Live Twice
人は2回しか生きない、というわけである。Youはあなたでなく、一般的な人を現す主語で、仏語で言うOnか。──そういうことはどうでも良い。

この、1960年代後半というのは、アポロの時代で、ロケットの時代だったのだな、と思う。冷戦の時代でもあったわけだが、それなりに希望もあったのであろう。
まあ、そんなことを考えてもおもしろくないのである。
素直に見るべきだ。
なにしろ、素直に見ると、面白い。荒唐無稽な内容が、好きである。ギャグ(ギャグでないかもしれない)が、私のお好みである。

2008/09/20

婉曲

好きです、とか、愛しています、一緒にいたいです、などの通常の告白やラブレターに使われそうな文言を使わないで、それを相手に伝える文章を考えよ(20点)

2008/09/18

お嫁さんが欲しい

表題の内容について論述せよ(10点)

2008/09/16

枠の方を変えよ

視点をどこに置くか。
基準をどこに置くか。
合格点のようなものをどこに置くかと言っても良い。
自己採点である。

採点しなくても良いのである。

なぜ、何を望むのだろう。何も変わらないのに。
欲しいと思うのは何故?

2008/09/15

風車に戦いを

それは、ラマンチャの人だけれど。

いつの間にか歳をとってしまう。
こういうすちゃらかで、何年も過ぎていくんだろうか。

人のことを思いやる気持ちとかがあれば、変わっていたかもしれないというか、まあ、報いというか、因果応報というか、あたりまえだのくらっかーというか、自業自得というか、十分条件から必要条件である。

まあ、言うほど余裕はないけれど。しょうがないわ。と思う。
そういう生き方だから、あちもこっちもうまく行くというのも出来すぎだし、そうは問屋が卸さないのだ。

悩み事

悩み事を聞くのが友達ではない。──いや、別に聞いてもいいのだけれど。
悩みを聞いてもらうのが友達ではないと言うべきか。

悩みとは何か。
相談というのとは少し異なるのかもしれない。

悩みがあるとしても、友達というものは、たぶん、悩み事を言うよりも違うことを言う、あるいはした方が、結果的に良いように思うし、そのためにあると言っても良いのかもしれない。
 ──ちょっとこの記事は、まとまりがない。


つまり、自分で決めるのであるし、決めるしかないのである。

2008/09/14

さよなら7000


名古屋鉄道の7000系電車、通称パノラマカーが廃車されるそうで、記念乗車会があったそうな。

たしかに、子どもが乗りたいと思う電車だった。ネオン管式のデジタルスピードメータが先頭車両に付いているのが見たくて仕方がなかった。一宮付近の直線区間で100KM/Hを出すのが珍しかった。
まあでも、十分乗ったと思うし、お別れ乗車会に乗るまでもない。50年くらい走ったのだな。

今。今思うと、3400系とか800系とかの方が貴重だったのだな、と思う。
今の電車よりも、デザイン(意匠)としては面白いと思うけれど、昭和の雰囲気というか、単なるノスタルジーだろうか。


(検索していたら、きれいな写真を紹介していらっしゃるサイトが見つかったのでリンクしておきます)
Streamliner の時代 ‐2‐

2008/09/13

昔の話

アコースティックギターは電気がなくても遊べる。

これが何のコードかと言えばFである。コードでギターを入門した人の多くはここでつまづく。それはFじゃないとおっしゃる?

そう。Fのコードはこの方がセオリーであるが、1フレットの1弦と6弦を押さえなければいけないので、セーハをする必要がある。人差し指で1弦と6弦の両方の弦を押さえているわけで、一本の指で複数の弦を押さえるのをセーハと言う(んだと思う)。
先の写真はインチキで親指で6弦の1フレットを押さえている。
こういうインチキを覚えると、Fだけはできても、真面目にセーハの練習をしなくなり、結局バレーコードが使えないという道をたどる。
Bのコードとか、人差し指に加えて、薬指でもセーハしなくてはいけないし、インチキもできない。
カポタストで移調するという方法もあるけれど……。
結局F型のバレーコードもできないし、B型のバレーコードもできないだめだめなのだったのである。
まあ、昔の話。
すっと弾いていないので、指先が柔らかくなっている。

ちなみにこれがCのコード。普通はこれから覚えるが、私はギターをやっていた頃はネクラだったのでEm7(Eマイナーセブンス)から覚えたのだった。──指一本だけで簡単だし。

2008/09/12

かわいそう

悲愴というよりは、しょうもないやつだと言って欲しい。
自分勝手かもしれない。というか、かもでなくてそれしかないである。

タイトルの通りAMENS(おばか)な話題しかないブログである。
読者のあなたが自分より愚かな奴がいると思って優越感に浸っていただければ、望外の幸せである。

というわけで、 まだまだやりたいことは山ほどあるのである。ブログやサイトをどうするかというのも考え中。まあ、ずっと言っているから、だらだら行くんだろうというところ。
だらだらだ。
下から読んでもだらだらだ。

2008/09/11

意味はある

意味があったら困る。
──それはすでに存在理由から破たんしている。
ブログとしては。
それならば、意味がないことにしたい。
意味がないことをしたい。
いや、それはもう既にしている

2008/09/10

微分係数

袋小路というのは閉塞感がありすぎて不適切。
微分係数が0というのは、ある意味不安定。

進歩がないことは評価されるべきか。
消すのなら簡単。ゼロを掛けるだけ。
そのスイッチを押すだけでよい。

2008/09/09

タイム・マシン

1960年 映画『タイム・マシン』
H.G.ウェルズ原作。またまた古い方。2002年にも映画化されている。

何を置いても、タイムマシンが美しい。まさに、タイムマシンの映画である。


この話では、80万年後の人類が出てくる。衝撃的な未来なのだけれど、それでも人類が残っていると予測したわけである。
しかしまあ、ウェルズの予測──というか、フィクションであるけれど──方向的には当たっているのかもしれない。アトムの漫画に出てくるような未来は無いだろう。

しかし、なんでまた80万年なんていう中途半端な未来にしたのだろうか。いや、進化論的に考えれば、案外考えられた数字かもしれない。

2008/09/08

十誡

『十誡』を観たけれど、書いてなかった。
1932年、セシル・B・デミルの監督作品。最初の十誡の作品。サイレントの作品。サイレントの映画というのは初めて見たかもしれない。

1956年のリメイク版も観たけれど、モーセが石版を持って山から下りてくるところが、一番力が込められているように思う。まあ、旧約聖書をそのまま要約するなら、当たり前と言えば当たり前か。

で。
この映画、DVDに淀川氏の解説が入っているです触れているように途中から現代劇に変わってしまう。十戒関係ないじゃん。のであるが、そうでもない。旧約聖書にしても、新約でも、なにをなすべきかというところに、帰着する。
ジレンマであるし、誘惑でもある。
ので、何を見て良しとするるのかである。

2008/09/07

誰も言わない

生きているの頑張っているの偉いの。
良い子良い子。

本当はそう言って抱いて欲しい。
もちろん、私が、である。

奇跡的だ。

2008/09/06

20キロバイトの小説

好きならば、20キロバイトくらい書けると威張ってみたけれど、そんなに書くことがない。そんなに書くことがないどころか、まったく書くことがないような気もする。

好きというのは、何か。それは、関係可能、あるいは、関係希望、のことだ。
恋の詞なんて、だから、いくらでも書ける。どんなに好きかを書けばよいのだから。

どこが好きか、何が好きかは、ちょっと難しい。書いてしまうと、滑稽になってしまう。小指の爪の形が好きというのは意味不明であるし、耳が好きというのもちょっとマイナである。鎖骨あたりは普通かもしれないが、背中のRが好きというのはあまり聞かない。それにしても、容姿についてしか出てこないのはすでに貧困である。
やさしい気持ちは、好きかもしれない。好きというのは、正しくないかもしれない。
動いているところが、好きだ。どう動いているかを書く文才が無いのは、もちろん私の所為である。
あとは、何があるだろうか。
もしかしたら、私のことが嫌いなところが、一番好きなのかもしれない。
それにしたって、好きなんて、些末なことである。

2008/09/04

だめ

何事も、駄目だというのは簡単である。

だめだー

ほら、簡単だ。
駄目という前に、努力すべきである。努力とは苦労ということではない。やるだけはやれ、ということである。
やれることはまだ残っているのではないか。

2008/09/03

今週のレンタル

  • タイムマシン(1960年)
  • ティファニーで朝食を

Baはアルカリ土類

検診でバリウムを胃の中に入れてX線を撮る。X線写真も今どきはデジタルだ。それにしても写されている方は、まったく楽しくない。というか、見ている方が絶対に楽しい。
さらに、このバリウムというのは金属なので、重い。比重が大きいのである。
どう考えても出てくるまで消化器系に負荷をかけているだけのような気がする。
──蛇足だが、出てきてからも、重いので、流れにくいのである。


思うのであるが、
べつに長生きしたくもない。死ぬまでできるだけ健康でいたいというのは究極の贅沢であるわけで、容易にかなわない願いである。

きっと、それが真実だが、さて。

ペソアの異名「アルヴァロ・デ・カンポス」の詩より
必要とされている人間などいはしない だれもお前など必要としていない……

お前がいなくなっても すべてはお前なしで動いてゆくだろう


必要とされているから生きているわけではない。と、思う。

お前はお前にとっては重要だ お前が感じるのはお前だから

お前はお前にとってはすべてだ お前にとって宇宙だから

では、「私」とは何か? である。
お前がお前にとって重要なのはお前にとって重要なものがなにもないからだ お前のほかに