2010/10/31

葛飾北斎

Google。日本で見るロゴは北斎だけれど、当然(?)海外ではハロウインなのである。しかも紙芝居?








2010/01/09

Synergyを導入

2009/09/21



よく知られたことですが、デジタルカメラでは、赤外線を見ることができます。お手元に赤外線リモコンがあれば試してみましょう。

2009/08/24

恋愛、虚構、差、位相

恋愛が難解であるとすれば、原因は一般化が不可能であるという本質である。別に恋愛に限らないが、1人称複数で行うことには、過去の経験が役に立たない。だから、失敗しても普通なのである。ちょっとでも上手くいったら、それはそれで奇跡である。毎日練習しているバッターだって、3割以下しか球に当たらないのだ。

恋する者は愚か者、というのは、拙Bloggerのブログのタイトルにかかげてある。ヴェルギリウス/牧歌の一節である。
ところで、欧州語の例えば、aimer、愛するという語は「好き」と同じである。日本語で、好きは動詞ではないというところは、なかなか本質的なのではないか。好きになろうとして、好きになるわけではない。ぼくたちは、好き、か、なんでもない、かを選択しているわけではない。
だから、好きというのは、理由にならないのだが、まずは、好きというのを理由にするしかないのである。だから、それに替わることを見いだすことがきっと必要だ。
順番に考えていけば、分かることである。
そこには、何もないのである。

2009/07/19

AMANS, AMENS

移動記念日というのは、面白いと思う今日である。移動祝祭日とかの移動である。mobileだ。
面白い方が、面白くないよりは良い。
そういうことである。

2009/06/09

Le solitaire

寂しいという日本語は、何を形容しているのだろうか。
英語ではLonelyらしいが、仏語だとsolitaireになる。

日本語と微妙に意味が違うような気がする。

2009/06/01

夏になる前

送信者 いろいろ9

アランの著作集第1巻のあとがきに、訳者の中村雄二郎が書いている。
「哲学する」ということが「よく生きる」ということの同義語であったことを、長い間人々は忘れていた。多くの場合、「哲学」は観念や理論のおばけとなり、「よく生きる知恵」はそこからすべり落ちた。

必要なのは哲学の勉強でなく、哲学することである。

ペソアの詩を読むと、それが自分の書いたもののように感じられる、とそれはもうペソアウイルスに患ったと言うことらしい。

あらゆるラヴレターは
滑稽なのだ
でなければ ラヴレターではない
滑稽なのだ

おれもラブレターを書いていた時期がある
みんなと同じように
滑稽なのだ
(ペソア詩集/澤田直 訳)

冒頭を引用した。全部読まないと真意は伝わらないので、部分引用は良くないかもしれない。


まだ暑いというほどではない。
もうすぐ夏である。

Funny Face

邦題は『パリの恋人』(1957年)
なんというか、理不尽なロマンス(もちろん善い意味で)。まあ、たいていロマンスというのは、論理的不整合の連続であることよ。
ミュージカル調なのは、ミュージカル映画だからだ。


ところで、ヘップバーンと言えば、『ローマの休日』だが、最も好きな映画の一つが、これである(パリの恋人じゃなくて、ローマの休日の方)。他には、『リスボン物語』。
共通点を考えてみると、ベタなギャグがふんだんに入っているところ。ローマの休日の、階段とか枕とか、真実の口とか。

で、『パリの恋人』のジョークは何だろうか。
あ、リスボン物語との共通点は車。
ISETTAと言う車。リスボン物語と違って、パリの恋人では、動いている。
ハイブリッドカーでなくて、これにすればいいのではないか。何十年も修理して乗れる車にすれば、良いのに。
イセッタ プラネット
今でも現役なのだ。

2009/05/31

引き続きジョーズ

というか、007。ジョーズはシリーズの前作にも登場した殺し屋の名前。今作は彼の活躍にも注目なのであるー。

『ムーンレイカー(1979年)』
ボンドがシャトルで宇宙に行くという作品。スペースシャトルが初の打ち上げをする2年前の公開でした。

驚愕なのは、スペースシャトルがまだ飛んでいるということですが、そのシャトルもあと1年くらいで退役。次の往復型のシャトルは計画されず、結局普通のロケットに戻ってしまうという、当時から見たら逆の方向に驚きの未来だと思います。

宇宙ステーションが実際にあるのは、まあ、映画が実現したと言えるでしょうか。

映画の中では超音速旅客機コンコルドも出てきますが、これも今はもうないですね。
そうそう。ボンドが日本製のデジタル時計をはめています。そういえば、液晶というのが出たのはこの頃でしょうか。なつかしや。

2009/05/25

止揚

根源的な二重性の押さえ込み。

自己は本来自己とは異質の存在性格をもつ身体を「所有」することにおいてしか、自己として現実に「存在」することができない(p169:『自分ということ』木村敏)

単純明快007

007シリーズ『私を愛したスパイ』

ボンドの秘密兵器は面白い。ツッコミどころ満載。時計の通信機など、笑える。
判り易い映画も、気楽に見れて良いと思う。

2009/05/18

レベッカ

ヒッチコック「レベッカ」

怖い。か?
話の展開はおもしろいけれど、言われているような怖さは、感じない。感じないのはすれているからか。

2009/05/17

もう一段階上に




なかなか泣ける少女漫画のアニメの挿入歌。少年向けでこういう悲しい方へのダイナミックレンジが大きい漫画は無い。

amantes, amentes なタイトルを掲げている本ブログであるが、DVDを観た話ばかり書いている気もする。
omnia vincit Amor. はウェルギリウスである。2000年前の人である。
楽しいことである。

2009/05/13

このブログはおもしろい。

このブログ(って、つまり、このomnis amans amensのこと)の過去ログは、右下のところから、該当年月をクリックすると読める。ちょっと面倒だが。
昔の方がおもしろいような気がする。
まあ、初心を忘れてしまうのである。収束というか、拡散。

反省すべし。

2009/05/10

冷凍保存

ヤスパースの言葉が思い出せずに、気持ち悪い。
Wikiに昔書いて置いていたが、ウェブサーバーをさくらに移った時に止めたような気がする。WikiのフォルダはそのままMacにダウンロードして保存してあるのだが、PHPの環境+Apacheがないと中身が見えない。Apacheは動いているはずだが、PHPが動かない。えーと、ごにょごにょして、動くようになった。

『人間は、己が出会う者に対して、彼が何をすべきかを教えることはできず、ただ彼が何を欲し、また彼が何であるかを、彼と共に見いだすことができるにすぎない』(2005-2-17)(創文社/ヤスパース『哲学I 哲学的世界定位』緒言ixより)


というのがそれ。ただ、引用箇所をメモするのを忘れて巻数やページが不明。(判明したので追記した)

ちなみに、このWikiを見ていたら、北海道旅行記があるではないか。書いたのをすっかり忘れていた。公開時に見たひとはラッキーである(何故に)
まあ今さら再アップはしない。
ちなみにこの旅行の時に乗った高速の青函フェリーは今は無い。

ふたたびWW

今週もヴィム・ヴェンダース
『家族のいる風景 (原題:Don't Come Knocking) 』

公開は2005年と新しい作品。
この原題は、どういう意味か謎なのだが、まあ、邦題もどうにかならないものかと思う。適当なことを言うのは良くないかもしれないが、英語で「ノックしに来るな」というのは、「会いたくないぞ」の婉曲表現みたいなものなのだろうか。まあ、タイトルについては、言及しない方が良さそう。

この映画を観ると、こういう映画というのを作れたら楽しいだろうな、と思う。
話としては、判り易いし、日常的な、それこそ風景である。それでは何も感じるものがないか、と言えば、やはりそうではなくて、あとからじわりと効いてくるものがある。

日常的な、平坦な、小説的な味付けがない。そういう面白さが、観たい/読みたい。そして、書きたいと思うのだが、書くのはまあ、かなり困難な夢物語かもしれない。

2009/05/04

Wim Wenders

『ランド・オブ・プレンティ』(2004年)
リスボン物語以来、ヴィム・ヴェンダースのファンだったりするのですが、なかなかレンタルにそろっていなくて、全然見ていません。ハメットとブエナビスタソシアルクラブくらい。

生きることとか、考えてしまいますね。
なんというか、てきとうに生きている。のほほんというか、ちゃらーん。
でも、就職口無くて、路上生活者の方を見かけたりしますと、明日の我が身かと恐怖してしまいますね。
嫌でも選択を迫られるわけです。頽落しているわけにはいかない。ヤスパース言うところの限界状況ってところでしょうか。仮性かもしれないけれど。

まあ、タンパク質が腐らないで動いているというのは、それだけで奇跡ですからね。ま、そこが問題の元なのか、違うのか。分離できないんだから意味ないが。
(あれ?どうして、ですます調?)

2009/04/27

パンズ・ラビリンス

アカデミーなんたら賞というのを受けている、評価が高い映画。スターウォーズの後に見ると、ちょっと疲れる。
まんまと二重化の罠にはまってしまうわけである。
内戦の軍事抑圧化の現実と、おとぎ話の世界。映画であるので、おとぎ話の部分が映像化できるわけなのだが、統一的な解釈をしようとすると、虚実に分裂をしてしまうのである。

単純にこいつは良いとか、これは駄目ですね。と言えない──つまり考えなければならない、ということは、すなわち、アカデミーなんたら賞という評価される良い映画ということなのだろう。
それにしても、なんというか、なんとも納得できないのは、主人公の少女オフィリアが単純な掟をやぶるところである。まあ、実際はそういういい加減のところがあるものであるから、リアリズムということなのかもしれない。だいたいは、現実の方が、茶番のような、しょうもないことの連続なのであるし、もちろんそれでよいのである。←と書いてから、解説音声(ディレクタリーコメント)を聞いたら、もっと単純な理由だった。そして、誤解したのは、その単純な理由を説明するシーンがカットされたからだったのである。説明無しでも分かると思われたようだが、気がつかないのは私がぼけなのである。(まあ、監督もカットしない方が良かったと言っているが)

エピソードVI

スター・ウォーズ エピソードVI ジェダイの帰還

シリーズ3作目。旧三部作というか、最後の話。
初回公開時は「ジェダイの復讐」という邦題だったが、2004年のDVD発売時に変更された。原題はReturn of the Jedi

前回の続編というか、完結編という印象の強い作品。まあ、そのままだ。

6部作と見れば、確かに壮大な作品。子どもに判り易い話でもある。

ところで、シリーズを通して、C3POの出番が多い割に役に立っていないのが面白いと思う。

2009/04/21

エピソードIV,V

先週の予告通り、旧三部作のうち、シリーズ第一作と二作「帝国の逆襲」を観た。エピソードIVとVにあたる。
テレビで放映されたのを観ているはずで、とくに第一作は複数回観ているのだが、最初の30分くらいの部分を全く覚えていない。変な宇宙人とか出てきて怖かったからか、面白くなかったからか、どちらかだろうか。
実は、エピソードVの方も最初の30分くらいは全く覚えていない。ひょっとするこちらは、放映開始部分を見逃したのかもしれない。

さすがに20年の開きがあるので、技術の差は目立つ。画面に出てくる、今ではショボイようなコンピュータとかは気にならないのだが、人間が着ぐるみに入ることができない動物の動きとかがいまいちおかしいところなどに現れている。CGが無いから、仕方がないのだが。