Ce n'est pas seulement de pain que l'homme vivra, (Mt4,4){La TOB}
Man shall not live by bread alone, {RSV}
有名な聖書の言葉。仏語聖書は、いつもエルサレム聖書から引用しているが、今回はエキュメニカルなラ・トープから引用してみた。ちなみに、文は異なるが、意味が違うわけではない。
おまけで、英語聖書からも引用してみた。英語聖書というのは掃いて捨てるほどあって、どれが良いのかサッパリ分からない。
「人はパンのみで生きるのではない、」
──である。では、何によって生きるというのか。
(マタイ書では、神の口から出るすべての言葉によって、となっているのであるが、それが何かは追究しない。もっとも、これ自体が申命記(8,3)からの引用であるので、そっちを吟味すべきかもしれない)
で、だ。
人がパンのみで生きられるのなら、それはそれで幸福だったのかもしれない。
まあ、働いてパンを得て生きているわけであるが、それだけではやはり駄目なのである。では、パンが無くなっても良いのか?
パンが無くても、手放せないものがある。それでは生きられないのではないかという矛盾。なるほどそうであるとするならば、生きるということは何であるのか。
自分で決めることである。
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