2008/05/30

何を書くの

何を書くかを書くという、最初から意味のないことをしようとしている気がします。
意味がないなら止めておけ、と言われそうですが、意味があるか無いかは書いている今は判断できませんし、意味があるかないかはあまり重要なことではないのかもしれません。すべての存在は別に意味を要請されているわけではないのです。

あるいは、逆に言えば、存在しているんだから意味がある。だから、意味があるないというのはそもそも意味のない議論なわけですね。意味のない議論に意味はないのかというパラドックス。この種のパラドックスはラッセルのパラドックスでしょうか……。まあそれはどうでも良いのですね。

と、このような話になってくると、存在とは何ぞや、ということになって、言葉の問題じゃないか、という考えも出てくるわけですが、そういうことを言うには、やはりハイデガーとか読んでおかないとだめですよね。積ん読じゃだめです。デリダとかレヴィナスもツン毒してありますが、ハイデガーの「存在と時間」は読まないといけないでしょうね。どうしても。

ハイデガーの話はいつか本を読んでからすることにしましょう。(いつだ?)
今読んでいる本はアラン。アランはプロポという書き方をとっているのですが、まあ、短い文で簡潔にまとめた形式とでも言えばよいのでしょうか。
別の場所ではヒルテイを読んでいますが、ヒルティはキリスト教的な思想があるので、それがクッションになるのですが、アランの場合はクッションがないのでグサッと突き刺さるというか、ズバッと切断うぎゃー、みたいないさぎよさがあります。
というわけで、ネタに詰まったら、アランの言葉に助けてもらうことにして、適当に意味のないことを書きつつ──と、このブログ進めていこうなどと考えています。

2008/05/28

OMNIS AMANS AMENS

本家の朝見ブログに書かない内容を書こうというつもりなのですが……。何故に本家で書かないのか(書けない?)と問われても困るのですが、まあ飽きたらまた集約するかもしれませんし、切り捨てられるかもしれません。

今日の話題はブログのタイトルですが、今日の記事のタイトルにもしてみました。ラテン語の参考書から引用した一節。ちなみにその本は積んどくなのですが、それはまあ措くとして、えー、恋人に贈る指輪には是非この一節を彫りたいですね。

まあ、かつては、次の一節を彫りたいとも思っていましたが、いまは、どうかな、やはり使わないでしょうね……。使うという人は別に止めませんが。新約聖書の一節、ラテン語である必要はないのですが、ラテン語ヴルガータだとこうなっています。

caritas numquam excidit.
英語だとLove is never ends 1コリ13の8です。愛は尽きない、みたいな感じでしょうか。


さて、で、その前掲の文句(OMNIS AMANS AMENS)はいったいどんな意味なんだ、というのは──書かない?でいきましょうか。
このブログ、そういう話題(どういう話題なのか?)でいくのかもしれません。

2008/05/27

ずっと

ずっと放置してあったここを使おうかと思って、ログインIDとパスが分からなくてあたふた右往左往。これを開設した当時は独立したアカウントだったんだけれど、その後Googleのアカウントに統一されて、Googleでログインすれば入れるようになった。んだけれど、前のアカウントをGoogleのアカウントに統合する手続きがしてなかったらしい。どこから入ればいいのだー。

というわけで、ごそごそやっていたら、なんとか統合の処理画面が出てきました。さらにごにょごにょやって、やっとアクセスできました。

アドレスを見ておやっと思う人はかなりの朝見通?です。はてな開設時のタイトルですよね。そう。実は、Blogger(ここ)でやろうかなっと思って、MacのIEで表示が乱れるという理由などで「はてな」にしたのです。その後使わずに放置されていたのですが……

さてー何に使いましょうかー。