恋愛が難解であるとすれば、原因は一般化が不可能であるという本質である。別に恋愛に限らないが、1人称複数で行うことには、過去の経験が役に立たない。だから、失敗しても普通なのである。ちょっとでも上手くいったら、それはそれで奇跡である。毎日練習しているバッターだって、3割以下しか球に当たらないのだ。
恋する者は愚か者、というのは、拙Bloggerのブログのタイトルにかかげてある。ヴェルギリウス/牧歌の一節である。
ところで、欧州語の例えば、aimer、愛するという語は「好き」と同じである。日本語で、好きは動詞ではないというところは、なかなか本質的なのではないか。好きになろうとして、好きになるわけではない。ぼくたちは、好き、か、なんでもない、かを選択しているわけではない。
だから、好きというのは、理由にならないのだが、まずは、好きというのを理由にするしかないのである。だから、それに替わることを見いだすことがきっと必要だ。
順番に考えていけば、分かることである。
そこには、何もないのである。
砂連尾理さんと踊る
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山形ビエンナーレ2024の参加作家のひとりが、舞踏家の砂連尾理さん。この春以来すすめられてきた彼のダンス・ワークショップの仕上げは蔵王温泉の町を踊りつつ歩くパレードだったのですが、そのパレードの終着点、蔵王スキー場ゲレンデで、詩を朗読しました。7日(土)と8日(日)の2回。特に日曜は、詩に登場する「姿を見せ...
1 日前